自動作曲と著作権

自動作曲プログラムにより作曲された曲の著作権というのは、どうなるのでしょうか。
生成された曲にもプログラムの作者の著作物という考え方もありますし、プログラムを操作した人の物だという考え方もあります。
まあ自動作曲プログラムと言っても色々あるのでケースバイケースなんでしょうね。完全におまかせでボタン一つで作ってくれるなら前者で、様々なパラメータを調節して曲を作るなら後者かもしれません。
ただ、色々パラメータを試した結果、デフォルトが一番良いと判断した場合はどうなるか、とかグレイゾーンはどうしても残りますね。
日本の場合、著作権は著作物を作った瞬間に発生するので、ボタンを押したその瞬間、この曲の著作権は誰のもの?という疑問をいだきつつプログラムを動かすのもシュールな面白さがあります。
ここは一つ専門家のご意見をお聞きしたいものです。

4分33秒

これに関連した話で思い出すのが、戦後流行った「前衛」音楽の流派、「チャンス・オペレーション」です。
譜面の上に図形を書いたり、インクをこぼしたりして、演奏家はこれを見て思いのままに演奏する、というスタイルです。
もちろんサイコロなんかも使われた筈で、乱数を発生させるのが得意なコンピュータも多用されたでしょうし、それが現在の自動作曲ソフトに脈々と受け継がれて来たというのも想像に難くありません。
コンピュータの事は置いておいても、このチャンスオペレーションによる曲の著作権はどうなるのでしょう。
作曲したのは演奏家の方じゃねえか、という気もします。
現実問題として、曲を聞いただけでは曲名を判断するのは不可能に近いでしょうから、音が出るプロセスも含めて初めて作曲家が著作権を主張できることになると思います。仮にまったく同じ音型が出たとしても、どの楽譜を見たかによって使用料の振込先が変わってしまう訳ですね。この辺は自動作曲と似ていると思います。

さて、このチャンスオペレーションに止どめを刺した作品があります。ジョン・ケージの「4分33秒」という曲です。
どういう曲かというと、ピアニストがピアノの前で4分33秒の間何もしない、というものです。まあ息くらいはしてもいいと思いますが。
これはつまり、その4分33秒の間に聞こえる音は全部自分の作品だ、という訳ですね。ここまで来るともうアイデアだけに著作権があるような気がします。

てふてふを二匹

同じ様な作品に、「コンサートホールの窓を開け放っておく。蝶々を二匹箱から放つ。二匹の蝶々がホールを出た時、この曲は終わる」という作品があります。実は作曲者名も曲名も知らないので、誰かご存じだったら教えてください。

この曲の事を、誰かが(池辺晋一郎さんだったと思う)「4分33秒の模倣作で、しょうもない」と言ってましたが、私は少し違うと思います。

違いその一。多分、演奏されたことは一度もないでしょうし(4分33秒はしばしば演奏され、CDも出ています)、実際やったら永遠に終わらないかもしれないという危険が伴うので、これからも演奏される事はないでしょう。つまり、この曲には音さえ無いのです。
違いその二。こちらの曲は美しい。Fragile な美しさとでもいいますか、ケージの方は途中で地震が来ようが雷が鳴ろうが全然OKな気がしますが、こっちはそうも行かない気がします。

ここまで書いていて、ふと演奏は可能だと気がつきました。ホールに客も演奏家も入れなければいいんですね。晴れた日曜の午後あたりに。

ところで、私はここで無断で全曲を「引用」してしまいましたが、これは著作権法違反でしょうか?

(ある方からメールで教えて頂きました。ラ・モンテ・ヤング(La Monte Young)という作曲家の<Composition1960,No.5>だそうです。また正確な「曲」も教えて頂きました。私の引用は若干不正確でしたが、まあいいか(笑))


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